途上国の教育から考える教育開発学
私の専門は教育開発という分野で、おもに途上国の教育について研究しています。その国の社会や教育にはどんな問題があり、そのためにどんな教育政策が必要かを考え、時には実際に途上国の政策策定の手助けをすることもあります。私自身、現在はカンボジアの教育省のアドバイザーとして教育政策策定のお手伝いをしています。
ちなみに、開発教育という分野は、途上国にある問題を理解するための教育です。
学部の授業では、比較教育学を通して日本の教育も含め、いろいろな国の教育を比較することから教えています。途上国の教育を見ていくと、それが合わせ鏡となって日本の教育をふだんとは異なる視点から見ることができますし、国の歴史や文化によって初等教育ひとつとってもさまざまな手法があり、そこにはその国の事情があると分かってくるのです。
カンボジアの農村におけるフィールド調査
フィリピンの小学校
“教育は大事”という意識づけが大事
SDGsでは「質の高い教育をすべての人に」を目標に掲げています。私が関わっているカンボジアでも近年未就学児は減ったものの、学校を途中で辞めてしまう生徒が多いという問題が解決できていません。
カンボジアの教育省は、学校を辞める原因は経済的理由と女子教育に対する意識の低さだと考えて政策改革を図りましたが効果が出ませんでした。そこで私は海外の研究者と共同で4年ほどかけて子どもたちの調査をしました。
その結果、ドロップアウトの一番の原因は親の意識だと分かったのです。親が教育を大事だと考えていれば貧しくても頑張って通わせるが、親が教育の大切さを理解していないと簡単に辞めさせてしまう。そこで、政策でも親に対する働きかけが必要だという結論になりました。これなどはある意味、日本とも共通した問題です。
教育が普及しない理由は国によりさまざまです。SDGsを学ぶ上で必要なのは、テーマを1つ決めたら、そのテーマをさまざまな角度からしっかりと見ることです。そして、途上国が直面する課題、私たちと共有できる事例、彼らから学ぶべきことがらを見つけていくことが大事だと思います。
教育政策の専門家として、途上国を支援する
私が途上国の教育をテーマに選んだのは、自国の教育を作り上げる過程をリアルに見ることができるからです。最初は、途上国支援など考えてもいませんでした。
しかし、大学の先生の紹介で日本に住むバングラデシュ人と知り合い、彼が作ったNGOを手伝いはじめて、バングラデシュの農村部で昼間も働く子どもたちのための学校を設立したのです。この活動を通して現地に足を運ぶようになり、生まれた場所が違うだけで大変な思いをしている人が数多くいる現実を知ることになりました。同時に、それに対して自分が何をすべきか、ずいぶん悩みました。途上国支援と言って学校を建てる一方で、日本では友達と遊んだりお酒を飲んだりして楽しんでいる自分は、偽善者じゃないかとも思いました。
しかしある時、「NGOでバングラデシュに学校を100校作れたらすごいけれど、それはバングラデシュ人でもできる。でも、学校を作るために必要な制度や政策を整えることはバングラデシュの人だけではできない部分がある。自分が専門家として関われば、1000や2000の学校を作るお手伝いができるんじゃないか」と思ったのです。そこで、教育開発や教育政策の研究をしようと心に決めました。
家族を手伝って働く少年(カンボジア)
教室が足りずに設けられた複式学級[5年生と6年生](カンボジア)
貧困問題もSDGsも、時代の流れを見ることが大事
「貧困に対して私たちに何ができるか」と言われれば、そこへアプローチできる学問や方法はいろいろとあると思います。たとえば教育開発を通して途上国の人々の能力を上げて就労機会を増やせば、貧困から脱出する手助けをできるかもしれません。
ただ、貧困はその場限りの問題ではなく、どうしてそうなったのかという歴史的な経緯を見ないと、その本質は見えてきません。歴史をさかのぼれば、2世代3世代にわたって貧困の連鎖があり、それが子どもに引き継がれていることも見えてきます。
日本においてもそれは同じです。最近、子どもの貧困が言われますが、恐らくそれは今始まったことではなく、「一億総中流」といってあたかもすべての日本人が豊かになったように思っていたバブル全盛期にも潜在的にあった問題が、バブルがはじけて徐々に顕在化したわけです。
このように、ひとつのテーマを時代の流れのなかで見ていくことは、とくにSDGsでは非常に大事です。それによって、いろいろなことが見えてくると思います。
また、知識を身につけて職を得ることも大事ですが、途上国にとってはそれ以上に重要な教育があります。人間らしく生きる権利を知ることです。
たとえば、途上国の選挙では投票所の入り口におじさんが立ち、投票に来た人に「文字は読める? 代わりに書いてあげるよ」と声をかけるようなことがあります。彼らは政党に雇われていて、相手が誰の名前を言おうが雇われ主の候補者の名前を書くのです。明らかな権利の剥奪ですが、代筆を頼んだ本人は自分の権利が侵されていることさえ分かりません。
このような途上国の人々にとっては、人間の権利や義務、公共性や倫理について理解を深め、それを実践できる力を育む教育を受けることが、貧困をはじめとしたさまざまな問題から脱するための大きな力となるはずです。
子供の貧困率(17歳以下の子ども)の国際比較(2010年)
出展:OECD(2014)Family database "Child poverty"
英語が使えれば“グローバルな教育”か?
今の時代は“グローバルな教育”が必要だと言われ、日本人の英語力が話題視されたりしています。しかし、安易に英語化を進めることに私自身は疑問があります。なぜなら、非西欧圏の英語が母語でない国で、日本ほど母語で高度な内容を学べる国はないからです。じつは、これはすごいことで、他の国はやりたくてもできません。
日本の教育は、明治時代に行政システムはフランス、教育委員会などの制度はアメリカ、カリキュラムなどの教育コンテンツはドイツから持ってきました。そして、ドイツ語や英語の本を翻訳することから始め、長い時間をかけて日本の教育体系を作り上げてきたのです。
しかし、途上国の場合、日本が100年かけてやってきたことを10年、20年でやらなくてはなりません。そうなると、教育のしくみは真似できても指導に使う母語の語彙が圧倒的に足りません。だから、途上国の高等教育は英語で授業を行うケースもしばしばみられます。
たとえば、フィリピンでは小学校1年生から英語・算数・理科は英語、ほかの授業はフィリピノ語で教えています。
そこで問題となったのが、算数・理科の学力が低いことです。それを改革しようと一時は4年生までフィリピノ語だけの授業にしようとしました。しかし、実際にそうした制度を導入すると、算数や理科を教えるフィリピノ語の語彙が足りないと気づいたのです。そのため、この制度は導入ができずに終わりました。これは、英語教育の早期化や英語を英語で教えるといった政策の積極的な導入を考える日本にとっても示唆的な事例だと思います。
もちろんフィリピンの場合、出稼ぎ労働では英語が話せることが大きなアドバンテージとなるため英語教育は重要なのですが、それが真のグローバルな教育や高等教育の推進につながっているかは疑問です。
新聞を読み比べることで、社会を多角的に見る訓練を
高校生の皆さんには、まず新聞をしっかり読むことを習慣づけてもらいたいと思います。社説と国際面だけでもいいから毎日最低30分、じっくり新聞を読む。
とくに各社の記事を読み比べたり、海外の新聞や通信社の記事で世界のニュースと日本のニュースを比べてみてください。ロイターやAFPといった通信社の日本語のホームページでも構いません。各新聞社が社会をどのように見ているかが分かってくると思います。また、自分の気になる記事、関心のあるテーマも見えてくると思うので、いい勉強になるはずです。
それから、教育開発を現場に活かすには、統計学やフィールドワークが欠かせません。とくに途上国などでは限られた予算のなかで、教育にいくら使うのかシビアな選択を迫られます。当然、それを行うことで現状がどう変わるか数字を示して説得しなければなりません。数字は嘘もつくし真実も伝えてくれます。数字を毛嫌いせずに、うまくつきあって欲しいと思います。