世界史で芽生えた、世界を知りたい気持ち
私の専門は、開発教育といわれる分野です。いわゆる途上国と呼ばれる国々の問題を考えると同時に、その文化や知識を得ることで交流や理解を深め、平等な社会を築いていくことが目標です。SDGs(持続可能な開発目標)においても、各ゴールを実現するための教育を担うとともに、国や民族間の相互理解を深め、平等で平和な社会の土台作りに役立てればと考えています。
私自身は高校生のころから世界史が好きで、「法隆寺の柱は、古代ギリシャ神殿と同じ技法」といった、時空を飛び越えてさまざまな事がつながっていく歴史の世界をもっと知りたいと思い、まずは時代をつないできた政治を学ぼうと法学部政治学科に進みました。同時に、世界の国々への興味もあって、大学では国際交流サークルの立ち上げに関わり、NGOと共催したスタディツアー、開発教育協会や外務省が行う国際交流イベントなどに顔を出していました。
愛・地球博でアフリカと出会う
私がアフリカに興味を持ったきっかけは、2005年に愛知県で開かれた「愛・地球博」です。国や自治体に加えて、初めて“市民”の参加を実現した万博で、会場には「地球市民村」が設置され、NGOの国際交流活動などが紹介されました。私も大学の仲間に誘われて「アフリカの叡知プロジェクト」のサブリーダーを務め、ネルソン・マンデラ前南アフリカ大統領の孫で平和大使のセッツァ・ドラミニさんと共に日本の若者と交流したり、民話を題材にアフリカ文化を子どもたちに伝えるプログラムを全国で行い、その成果を発表したりしました。
一緒に活動したNGOや日本にいるアフリカの人々を通して触れたアフリカには、初めて知る多くの魅力がありました。それまでの私は、世界史に出てくるアフリカくらいしか知らなかったのです。
アフリカを知りたい気持ちが高じて、「アフリカ文化を輸入する」をコンセプトに掲げた会社に入社しました。その会社は、食文化の紹介として飲食業を営んでいて、私はその店でアルバイトをしていたのですが、就職して社員シェフとして働くことになりました。さらに、その会社は教育事業も行っていて、地球博で携わった国際交流事業を教育事業として完成させたいという私の思いにも合致したのです。
その店では2年ほど働き貴重なネットワークを築くことができました。しかし、そこで得た情報をもっと人に伝えたいと考えて、改めて大学院に進み開発教育の手法を学び、アフリカをフィールドに研究や実践を続けて大学教員となったのです。
「地球博」の地球市民村ではアフリカの文化や歴史を紹介
グローバル社会の“教養”となる国際理解
現在は、おもに上智大学グローバル教育センターの特任助教として、学生たちの国際交流とそのプログラム作りに力を入れています。これからの時代は欧米だけでなくアジア、中東、中南米、そしてアフリカといった地域との交流にも力を入れていこうという考えから、希望する全学部生が自分の専門とは別に、世界地域に関する教養を身に付けられるしくみをつくり、私はそのアフリカ交流プログラムを担当しています。
ちなみに、みなさんは「アフリカ」にはどんなイメージがありますか?
まず、アフリカ大陸には54もの国があります。それぞれが違う歴史、文化を持ち、人口統計では2050年に世界人口の4人に1人がアフリカ地域出身になると言われています。経済成長も著しく、日本をはじめ多くの国の企業がビジネスでも注目しています。しかし、日本ではアフリカの紛争、貧困などの情報を中心に伝えられてきたため、そのイメージはネガティブな傾向にあります。
2017年の2月には、ベナン共和国に14人の学生を連れて行きました。法学部国際関係法学科、外国語学部、経済学部経営学科、文学部新聞学科など所属はさまざまです。現地では、交流協定を結んだアボメ・カラビ大学の授業を3日間受講したほかWFP(国連世界食糧計画)で学校給食事業を見学したり、大使館やJICA、現地の市民団体による貧困地域の子どもたちへの教育支援活動や、市民に対するワークショップなどの見学や交流を行いました。
参加した学生たちは、まずアフリカの多様性に気づきます。
現地には裕福な子も貧しい子もいる。途上国支援は経済支援が優先だと思い込んでいたのに、ベナンの学生から「まずは政治が安定しないと経済発展はできない」という意見を聞く。WFPの現場では、担当者から「国の北部では食べられない子が小学生の2割もいるが、ベナンは平和に見えるから寄付を集めにくい」と現状を説明される。
まさに、行かなければ分からないことだらけで、価値観が揺さぶられる。この体験が非常に大事で、将来必ず役に立つグローバル社会の“教養”となると思います。
上智大学グローバル教育センターによるアフリカ・ベナン共和国への短期留学
“アフリカを学ぶ”教育から“アフリカから学ぶ”教育へ
個人的には、ガーナ共和国をフィールドに、アフリカの歴史認識や開発認識を研究しています。たとえば、植民地時代についての教科書の記述を調べると、その見方が一様ではないと知ります。「若い男性が働き手に取られ世代の空洞化が起きた」、「精神的負荷がかかった」といったネガティブな要素に加えて、「インフラの整備が進んだ」、「教育制度が整い英語が話せるようになった」といった植民地化に対するポジティブな要素も書いてあります。これから日本人が出会うガーナ人の植民地時代に対する認識は、私たちが学習したものと別の学習がベースにあるかもしれないのです。
かつての開発教育は、私たち先進国側が途上国の現状を学ぶための教育でした。たとえば、私たちが使っている携帯電話の基盤にはコンゴのレアメタルが使われている。そして、その採掘現場には児童労働や紛争の問題がある。私たちの生活と世界の課題が結びついていると知ったとき、どのような行動や解決方法があるか考えてみようといった話です。
しかし、SDGsの時代には、先進国や途上国という括りで課題を捉えることはできません。日本には日本の、ガーナにはガーナの開発課題があり、それを自分たち自身で解決していかなくてはなりません。そして、実際に何とかしようと動き始めています。NGOも、政府自身もSDGsが必要だと認識しているからです。
開発教育は相手を理解することから始まる教育活動です。これからもアフリカの人たちと互いに交流し、理解を深めていくために、SDGs時代に彼らが開発やこれからの社会づくりをどう考えているか、開発をめぐる歴史をどう認識しているかを知り、“アフリカから学ぶ”ことも必要になってくると考えています。
国際協力への道は、ひとつではない
最近は、「国際協力に関心がある」と大学に進む学生がますます増えています。そして、「国連などの国際機関に入るにはどうすればいいですか」と尋ねてくる人もいます。しかし、国際協力に進む道はひとつではないということを覚えておいてください。
これからは、どんなことも国際協力につながる時代です。企業もSDGsや社会貢献事業を本業にどのように組み込んでいくか考えています。事業自体が人権や環境にも配慮された持続可能な事業であることが大前提となってきたからです。民間企業で開発課題を解決する道も、NGOや市民活動に参加する道も、教育機関で国際協力を実践する道もあるのです。
開発教育では「知る」「考える」「行動する」を学びの柱としていますが、高校生は「知る」「考える」をとくに大事にしてください。まず自分の関心事は何なのか、そこで何が課題になっているのかを知ること、考えること。そして、高校生活のなかで基礎知識を積み上げておくことです。その知識は、必ず国際交流に結びつきます。さらに、自分の直感も大切にしてください。おもしろそうだな、好きだな、変だな、といった直感が世界へ目を向けるきっかけになるはずです。