法を学ぶと、国の骨格や社会のしくみが見えてくる
私が法学部に進んだのは、元はと言えば父の勧めがあったからです。「法学を学べば社会のしくみが分かるぞ」と強く勧められました。半信半疑で大学に入ってみたら、勉強すればするほど面白く、すっかり虜になってしまいました。
法学部と聞くと、六法全書を覚えなければならないのではないかといったイメージがあるかもしれません。でも、決してそのような暗記だけの学問ではないのです。社会の問題を法律に照らして考え、公正な解決を導いていく。じつは考える要素がとても大きい学問なのです。
国の運営は憲法に則って行われますし、法律は国の議会を通して決められるので、法を学ぶと、その国の基本的な骨組みや政治のあり方、社会のしくみが作られてきた経緯も理解できるようになります。
現在、研究しているのは国際人権法です。学生のころはそのような分野があることはよく知りませんでした。でも、大学院で国際法を学ぶなかで「ヨーロッパ人権裁判所」という国際的な人権裁判所の判例を読む機会があり、その内容に深く感動して国際人権法に興味を持つようになりました。
「ヨーロッパ人権条約」という国際法には「公正な裁判を受ける権利」の規定があります。刑務所にいるある受刑者が、裁判(名誉毀損を訴える民事裁判)を起こそうとしたところ、弁護士との連絡が拒否され裁判を受けられなかったという訴えに対して、ヨーロッパ人権裁判所の判例は、「裁判を受ける権利そのものは条約に明文で書かれていないが、条約の目的である人権保障に有利なように解釈すれば条約の規定に含まれると解釈されるべきだ」という立場を示していたのです。
また、どんなに素晴らしい条約でも、作ってから年月が経てば想定外の事案も出てきます。たとえばLGBTの権利の問題などもそうでしょう。でも、ヨーロッパ人権裁判所はできる限り現在の状況に合わせて解釈し、よりよい解決を導いている。条約という国家間の約束事を、人々の人権保障のために活かす。その仕組みに人類の叡智を見た思いがしたのです。
国の政策も、国際法に照らせば違法になる?
第二次世界大戦後の国際社会は、国連を中心に世界の平和と人権を守ることを目的としてさまざまな取り組みを進めてきました。私が研究する国際人権法もそのひとつです。第二次大戦時の人類の歴史は、ある国が憲法で人権を保障しても、独裁者が現れたら簡単に覆されてしまう可能性を経験上明らかにしました。だから、国際法によって国際社会がともに人権を保障しようとしているのです。
日本にも女性差別、子どもの虐待、障がい者の人権、性的マイノリティへの差別などさまざまな人権問題があります。でも、その多くは国際的な人権の基準に照らすことで、解決の糸口が見つかります。
たとえば、国際人権規約のひとつに「社会権規約」があります。教育を受ける権利や社会保障についての権利などを定めたものですが、日本の裁判所は、この規約はまるで単なる努力義務を定めたにすぎないかのような扱いをしています。しかし、人権保障について定めたこの条約の趣旨をきちんとふまえて厳しく適用している国もあります。
社会権規約は、国が中等教育や高等教育を徐々に無償化していくことを定めていますが、ベルギーで政府が学費値上げの法令を導入したとき、ベルギーの裁判所は「社会権規約で学費は徐々に下げると約束をしたのだから、学費値上げは違法である」と判決を出しました。国の政策であっても、国際法に照らせば間違いだと言える場合があるのです。日本の学費は高く、「奨学金」といっても貸与型で実質は学生ローンのものが多いです。これは社会権規約に照らすと本当は間違っているのですよ。
このように、国内だけに目を向けていると、日本の状況は当たり前だと思い込んでしまいがちです。でも、国際法に照らすと直すべきところはたくさんあるし、法律を学べばそれが見えてくる。そして、法律は自分たちの手で変えることもできるのです。「学費が高くて大変だ」という怒りも大事な原動力ですが、法的な根拠に照らすと、感情的にならずに議論を組み立てることができます。
国際人権法とSDGsはめざすところが重なる
SDGsも国連が中心となって定めた国際的な開発目標です。そして、その目標は国際人権法と大きく重なっています。国際人権法では差別をなくし、マイノリティの人権を尊重するのが大原則ですから「ジェンダーの平等」、「不平等をなくそう」といったSDGsのゴールとめざすところは共通しています。
残念ながら、日本では政治や経済における男女格差が非常に大きいですね。衆議院議員の女性比率は1割にも満たないし、公務員や企業の幹部職の女性比率も非常に低い。だから少子高齢化や、夫婦別姓が認められていないことのような問題に、女性の経験を活かした有効な政策を打ち出せないでいます。まずは、女性の議席数を制度によってしっかり確保し、政治の場に女性を増やすことが必要だと思います。
また、人種差別への取り組みも課題です。技能実習生のような立場の弱い外国人から、低賃金で労働を搾取するような問題も起きています。実は、多くの国で人種差別を禁止する法律があるのですが、日本には、憲法に法の下の平等の規定があるものの、法律レベルでは「人種差別禁止法」のような法律がありません。日本では差別の問題に対する取り組みがきわめて遅れているのです。
国際人権法学会研究大会にて
人権保障の視点で法を学ぶ「ヒューマンライツ学科」
2022年4月、本学法学部に「ヒューマンライツ学科」を開設予定です。「人権」ではなく「ヒューマンライツ」という名称にしたのは、国際社会で共通に認められている人権の理念に基づいているという意識からです。「人権」を前面に出した学科は日本で初めてだと思います。
この学科では、人権問題の解決という目的意識をもって法を学びます。憲法上の人権はもちろん、国際人権法上の人権についても考えていきます。必修科目のなかには、ドキュメンタリー映像や当事者の話を通じて人権問題を知る授業もあります。また、たとえば貧困による人権問題の解決のためには経済学や財政学、社会学など隣接の社会科学にわたる広い知識も必要ですから、政治学、経済分析、公共政策の入門科目のうち2つを必修とするなど、学際性も重視しました。「貧困と人権」「戦争・紛争と人権」「ジェンダーと人権」「性的マイノリティと人権」「ビジネスと人権」「ジャーナリズム論」など多彩な科目をそろえるほか、人権問題について英語で学び、英語での発信力を磨く科目もあります。
人権保障という視点をもって法を学ぶことで、社会に出てからも自分や周囲の人の人権を守るだけでなく、人権が適切に守られる社会に向けて重要な働きをするための力をつけることができると考えています。
ゼミ生との活動
共感力をもって、弱者の存在に目を向けてほしい
SDGsでは「誰ひとり取り残さない」と謳っていますね。これは、一人一人の人間をかけがえのない存在とみて、人間の尊厳を守ろうという人権の理念とも重なります。近年は、国が人権保障に取り組むだけでなく、企業活動においても人権を尊重し侵害しないことが求められ、多くの企業が取り組みを進めています。
皆さんの中には、不条理な思いをし辛かったことがある、自身や家族に病気や障がいがあり大変な思いをした、といった経験をしている方がいるかもしれませんが、そのような経験は、人生においては決してマイナスではありません。そのような経験はこれからの学びに必ず活かすことができますし、法学の学びにいっそう深みを与えてくれます。
社会の中で弱者の立場にある人、疎外された人の存在に眼を向けてください。そのきっかけは、人によってさまざまだと思いますが、自分以外の人の境遇について知的好奇心と想像力、そして人間的共感力をもつことを大切にして欲しいと思います。