コンピュータが引き起こす、新たな格差問題
私の専門分野は、教育の効果を上げる技術や工夫をさまざまな面から考え体系化していく「教育工学」、そして世界の教育と開発について研究する「国際教育開発」という2つの分野にまたがっています。そして、そのどちらの分野においても、「ICT(Information and Communication Technology:コンピュータなどの情報通信技術とその活用)」の発展と普及による影響はとても大きなものです。
グローバル化する教育のなかでICTの教育現場への導入が進み、ユネスコが「世界のどの国で生まれた子どもたちも、情報リテラシー*を身につけられる教育制度を整えるべきだ」と唱えるなど、「教育工学」においてICTを教育現場でいかに活用するかは今後の大きなテーマです。
一方、「国際教育開発」においてもICTと、それを使いこなす力を持つ意味を考えることは、とても重要な課題です。教育制度の整っていない貧しい国では、今でも学校へ通えず読み書きができないまま大人になってしまう子どもが多くいます。そしてICTが教育に導入されると、彼らは読み書きに加えてコンピュータの操作や、情報を使いこなす能力においても遅れをとってしまいます。その結果、さまざまな国でこれまで以上に教育の格差が大きくなっているのです。
*情報リテラシー:コンピュータや情報を理解し使いこなす技術
デザインで社会問題を解決する?
私はアメリカの大学で言語学を学び、大学院に進学しました。そこで世界の教育や、開発と教育の関係に興味を持つようになり、博士課程から現在の専門である国際教育開発に方向転換したのです。博士課程では、貧困街に暮らす黒人の子どもたちの教育をテーマに研究していました。大学のあったニューヨークには、ハーレムと呼ばれる貧困層の街があったからです。
当時、すでにコンピュータの普及率によって学力などの格差が生まれると言われ始めていましたが、ハーレムは全米でコンピュータの普及率が最も低い場所でした。そんな折、ハーレムに暮らす子どもたちにノートパソコンを支給して家で使ってもらうプログラムを、公立の学校と企業が連携して進めていることを知りました。そこで、私もその効果の調査研究に携わるようになり、次第に「ソーシャル・デザイン」に関心を持つようになったのです。
ふつう、“デザイン”と聞くとグラフィックやファッションを思い浮かべる方が多いでしょう。しかし、デザイナーであり教育者だったヴィクター・パパネックは「デザインとは、問題を、調和をもって解決することである」と言っています。たとえば、先に述べたハーレムのプロジェクトでは、子どもたちにパソコンを支給すると、その子どもの家族はもちろん、近隣のコミュニティでもパソコンが共有されていたとわかりました。つまり、そのプロジェクトは“子どもを通して地域の問題を解決する可能性を秘めたデザイン”と考えられるのです。
持続可能な社会をソーシャル・デザインで実現しよう
東京工科大学メディア学部では、メディア社会コースのなかで持続可能な社会の実現に向けた方法論を学ぶことができるように、ここ数年、千代倉弘明教授と一緒にソーシャル・デザインに関わる科目をデザインしてきました。千代倉先生は工学博士として技術やサイエンスの視点から、私は教育工学や国際教育開発の視点から、社会をより魅力的にするためのデザインや、それに応じたコンテンツ制作の方法論を考えてきたのです。
たとえば、私が担当している「グローバル・メディア論」では、今、私たちが直面している持続可能な社会に向けた課題にはどんなものがあるか、そしてメディアはその課題を解決するためにどんな貢献ができるかについて考えます。3年生の後期には、社会問題を解決する新たなビジネスプランを考える「ソーシャル・アントレプレナーシップ(社会起業家論)」という科目もあります。
また、私は「ソーシャル・デザイン」という研究室も担当しています。ヴィクター・パパネックの考えをさらに広げて、アイデアや過程、ビジネス、社会のシステムをデザインするという視点で、ソーシャル・デザインの研究を進めているのです。今、日本を含む世界中で、“持続可能な社会”の実現が非常に重要になってきています。“持続可能な社会”とは、「将来の世代の欲求を満たしつつ、現在の世代の欲求も満足させる持続可能な開発が行われる社会」のこと。 ソーシャル・デザインとは、そんな社会の実現に向けてさまざまな問題を解決していく新しいアイデアやプロセス、新しいビジネス、それに伴って生まれてくる社会システムをデザインすることなのです。
左側に書かれた目標を、右側に書かれた人々を巻き込み連携しながらソーシャル・デザインを進めていく。
フィリピンの貧困層をメディアコンテンツで支援
私たちの研究室では、社会を良くするために、どのようにメディアを活用するかということに重きを置き、それをベースに国外にも目を向けています。そして、発展途上国の抱える識字率の低さや女子教育の遅れといったグローバルな課題解決のためにメディアにできることは何か、ソーシャル・コンテンツ・デザインの視点で研究を進めているのです。学生は自分なりのテーマを見つけて、調査研究やフィールドワーク、コンテンツの制作など、さまざまな形でテーマにアプローチして卒業論文にまとめます。
たとえば、学生たちは「株式会社ワクワークイングリッシュ」という社会的企業の活動に関わってきました。ワクワークイングリッシュは、フィリピンの貧困層の自立と成長を目的にした新たなビジネスモデルを提供しています。フィリピンの18歳以下の子どもの20人に1人は、身寄りもなく路上で暮らす「ストリートチルドレン」だと言われ、大きな社会問題になっています。そこで、現地の孤児院で暮らす人や貧しい人たちのうち、意欲のある人に英語教授法を学んでもらい、インターネットを使ったマンツーマン英会話の講師として働けるようにしたのです。
研究室の学生は、その事業とコラボレーションして、夏休みの2週間、フィリピンに行き、ワクワークイングリッシュのプロモーションビデオやテーマソングといったコンテンツを制作したり、子どもたちにデザインや音楽のワークショップを提供したりしてきました。
ワクワークイングリッシュ x フィリピン・セブ島孤児院 x 東京工科大学メディア学部指導 教育ワークショップの様子(2013年)
若い人が、ソーシャル・デザイナーを目指す時代に!
持続可能な開発目標で掲げられている17の目標は、発展途上国だけの問題ではありません。先進国にいる私たちの社会と深い関連性があるものがほとんどです。課題を解決するには、今まで以上に大きなパラダイムシフト(価値感の変革)が求められているのです。それには、個人、政府、企業、研究機関、非営利団体などの連携が不可欠です。
研究者も研究で得た成果が実際の世界で役に立つよう、努力する必要が以前に増して強くなっています。私たちの研究は、机上の空論ではなく現実に即した、持続可能な社会の実現のための方法論を示していく役割があるのです。同時に、社会で活躍している人たちや若い人たちも、文化人類学や心理学など、深い人間の理解につながる学問にもっと気軽に触れて視野を広げ、ともに歩むことが必要だと思います。
新しいメディアの発達によって、個人のアイデアが世界を変えることができる時代になりました。若いエネルギーであふれる、みなさん一人ひとりが、次の新しい社会をつくる“ソーシャル・デザイナー”を目指すことができるのです。私たち東京工科大学でも、SDGsの達成に向けてさまざまな取り組みを始めています。近い将来、みなさんのなかからも、この新しい職種“ソーシャル・デザイナー”を卒業後の目標として語る人がたくさん生まれるようになれば、うれしいですね。
東京工科大学のSDGsサイト
「ソーシャル・デザイン」研究室でのゼミの風景。SDGsとの関係についても考えている。