途上国や限界集落を、まちづくりで支援
私の専門は都市計画。とくに、発展途上国のまちづくりをテーマに研究をしてきました。
もとはと言えば、何か社会に貢献できる大きな仕事がしてみたかったんです。でも、土木は規模が大きすぎるし、建築は気取った感じだし……と思い悩んでいたときに、図書館で建築家の黒川紀章氏の本を見つけ、『都市デザイン』というタイトルにすごく惹かれました。
さっそく“都市デザイン”を学べる大学を調べてみたところ、当時は東大くらいしかなく、ようやく長岡技術科学大学に都市計画の研究室を見つけました。この大学は学部と院が一貫教育のユニークなカリキュラムで、そこに筑波研究学園都市などを手がけた都市プランナー、石川允先生の研究室があり、念願かなって入ることができたんです。
時代はバブルの全盛期で、インターンで行った企業には大規模な都市計画が目白押しでした。しかし、自分の思い描いた“社会に貢献できる仕事”とはちょっと違う。
そんな時、当時、長岡技科大に赴任され後に東大教授(日本都市計画学会会長も歴任)となる大西隆先生に「途上国の研究をやらないか」と声をかけられました。そこで先生の下で途上国の都市計画を学び、先生の東大転籍後、私も後を追って東大博士課程に入学。その後、文科省の奨学金でタイのチュラロンコン大学に2年間留学して、タイの都市計画の研究で博士号をとりました。
卒業後は再び長岡に戻り、長岡造形大学で都市計画を教えるようになりました。在席中にJICAの専門家派遣で2年間タイのアジア工科大学院に赴任し、20か国以上の国籍の学生たちに指導を行ったり、日本の学生たちをタイのスラムの視察に連れて行ったりもしています。
しかし、2004年に中越地震で長岡が大きな被害を受けて以来、私の研究テーマは長岡のまちづくりに大きくシフトしました。学生時代に長岡に来てから四半世紀の間に蓄積した地域に関する知識も活用しながら、長岡市や新潟県近隣をフィールドとして、まちづくりや限界集落の支援などを行っています。
市民と本学生の協働で、醸造のまち、長岡市摂田屋の町おこしも行っている。
土地の歴史をメモリアルとしてデザイン
近年は、ハワイ大学と連携して、建築デザインを通してまちを見つめ直し地域づくりに活かす交流活動にも力を入れています。
長岡市は、終戦直前の8月1日、米軍による空襲で市街地の9割を焼かれました。これに先立つ7月20日には長崎型の模擬原爆が長岡に投下されています。新潟市に原爆を落とすための演習だったともいわれています。また、ハワイの真珠湾攻撃を敢行し大戦の指揮をとった山本五十六の出身地も長岡です。しかし山本五十六はもともと非戦論者であったことでも知られています。その長岡市民DNAを受け、1984年に長岡市は非核平和都市宣言をしました。それに先立ち世界中の爆弾を花火に変えようと、敗戦翌年から毎年8月2,3日を平和祈念の花火大会としています。
こうした背景から、ハワイ州ホノルルと長岡市は2015年に姉妹都市となり、ハワイ大学と長岡造形大も2017年に交流協定を結びました。
交流活動のひとつに「ピースメモリアルワークショップ」があります。長岡とハワイの学生たちがお互いの地域を訪ねて戦争の歴史を学び、メモリアルを考えます。ハワイでパールハーバー・アリゾナ記念館や日系人が収容されたキャンプサイトを訪ねたり、長岡の大空襲や長岡花火大会などについて学んだりしながら、2つのまちにどんなピースメモリアルをデザインしたら良いか議論を重ねます。土地の歴史を知ることで「爆撃機の来た方向は忘れないようにしよう」、「花火の見える場所にモニュメントを創ろう」といった新たな着想が湧いてくるのです。
このワークショップは2017、2018年度と開催し、以降は隔年で実施する予定で、学生たちが考えた作品は報告書にまとめています。機会があれば、作品のいくつかを具体化する提案ができればとも考えています。
ワークショップによる学生の作品「空と陸と海を通って」:ワイキキビーチ、マジックアイランド。
祈りを捧げる組み合わせた手をモチーフにした。(ピースメモリアルショップ2017年度報告書より)
デザインで、その土地の持つメッセージを伝える
建築や都市のデザインを志す学生のなかには“カッコいいもの”“自分が満足できるもの”を創りたい、という気持ちが少なからずあります。しかし、デザインには多くの人に対してメッセージを伝える力もあります。
国連のSDGsの取り組みも、17のゴールに鮮やかな色とアイコンを結びつけることで、ひとつのブランドとして世界中に認知させることに成功しました。国も企業もSDGsのバッジを胸に「何かやらなくちゃ」と動き出しています。デザインの力をじつに効果的に使っているなと感心しました。
私たちのワークショップでも、建築デザインで「その土地や社会が持っているモノに結びつけた貢献」をすること、さらに戦争という悲しい体験をプラスのメッセージに変えるデザインを考えて欲しいと学生たちに投げかけました。戦災関係の資料館というのは、どうしても過去にあった辛いことに関する資料が多く、“これからは平和を続けていこう”という未来に向けての発信力が弱い。そこをデザインの力で変えてみようという試みなんです。
日本の過疎地問題が、アジア諸国の支援になる!?
こうした私たちの活動は、とくにSDGsを意識して行ってきたわけではありません。しかし、都市計画やまちづくりはSDGsのあらゆる目標に関わってくるテーマです。
学生たちと行ったピースメモリアルワークショップは、ゴール16の「平和と公正をすべての人に」につながります。最初はハワイとの海外交流に惹かれて参加した学生たちも、お互いのまちの歴史を知ることで、平和について考えざるを得なくなりました。また、「日本は憲法で武器と戦争を否定し平和を守ってきた」、「米国は国を守るために武器を取ることもある。平和を守るには戦わざるを得ない場合もある」といった両国の価値観の違いが議論となる場面もありました。
ゴール11の「住み続けられるまちづくりを」は、都市デザインが直接関わるテーマです。たとえば、日本は少子高齢化のトップランナーです。近い将来、建物も土地も余ってしまう。そこで、空き家や空きビルの寿命をいかに延長させるかが、喫緊の課題となっています。さらに、空き物件を撤去した場合、その場所をどうやって都市に再編成していくかといった検討も始まっています。
これからは、まちを“新たに創る”のではなく、“上手に縮小させる”技術が日本の都市計画における大きなテーマであり、いずれの先進国もまだ経験していない課題なのです。私たちが見出した知見は、“住み続けられるまちづくり”に大きく貢献できるでしょう。さらに、この知見は近い将来、より大規模な少子高齢化を迎えるであろう、アジアの後発の国にも大いに役立ちます。
また、ゴール3の「すべての人に健康と福祉を」の達成においても、都市計画や居住空間を考えることは非常に重要です。SDGsに対する問題意識さえあれば、さまざまなゴールに貢献ができると思います。
日本の伝統から、持続可能なしくみを学ぶ
これから建築や都市計画をやろうと思うなら、伊勢神宮の式年遷宮のしくみなどは、ぜひ知っておいてもらいたいですね。まさに持続可能な社会を具体化した、素晴らしいしくみです。
伊勢神宮の式年遷宮とは、お社を20年ごとに作り替える伝統行事です。お社を敷地内の東の宮地から西の宮地へ建て替えることを1300年も続けてきました。遷宮のための木材は伊勢の山で育て、それを伐り出す木こりや大工も代々引き継がれ、解体した木材は全国の神社で再利用されます。人も技術も山もすべてつながっている。これは、SDGsの目標がすべてつながっているという話にも似ています。
日本の建築は伊勢神宮をモデルとして、木と山の文化、自然の材を使った空間を作ってきました。隈研吾氏をはじめとした“国産の木材を使って公共建築を創ろう”といった発想にも非常に近いものを感じます。式年遷宮の“持続可能な”精神は、現代建築にも脈々と受け継がれているのではないでしょうか。